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2013年10月6日

ミナマタから学ぶべきこと

中小企業家同友会全国協議会が地球環境問題交流会を10月3日、4日、開催しました。地球環境問題を正面から採りあげようという経営者団体は、他に知りません。しかも、今回は開催地が熊本ということもあり、ミナマタ。言うまでもなく、四大公害訴訟でもっとも過酷で激烈な裁判となり、今も続く、世界的に有名な公害事件です。

 中小企業団体でミナマタをテーマに議論ができるとは・・・同友会はホントにスゴイと思います。

 

今回のテーマは『環境経営の実践で地域再生を!MINAMATA(水俣)から学ぶ「もやい直し」』

過去の公害被害とそこからの再生に学びながら、これらかの震災復興、特に福島原発震災から地域を再生させる方策を探ろう、ということです。

基調講演は、もと水俣市役所環境課職員、もと水俣病資料館館長、で、今は「地元学」を提唱して地域再生の活動に取り組んでおられる吉本哲郎氏。テーマは『ないものねだりをやめて、あるもの探しー地域と企業を元気にする「地元学のススメ」ー』でした。

 

「お上」に対する不信から、患者さんたちは、20年、会ってさえくれませんでした。チッソが垂れ流した水銀で汚染された水俣湾は、1990(平成2)年までに埋め立てられ、1997(平成9)年には熊本県の水俣湾魚介類安全宣言も出されました。しかし、チッソは今でも水俣市の雇用と地域経済の大きな部分を占めています。被害者と加害者、差別した人たち、が同居しつづけるなかでの「地域再生」は「人間関係の再生」からでした。

 

水俣病資料館では、上野エイ子さんが語り部として辛かった体験を話されました。漁師の夫はある日突然、劇症型水俣病を発症し、10日余りで他界してしまいました。その頃はまだ、水俣病は「奇病」とされ、病院では好奇の目に晒され、近所からも嫌われました。まもなく産まれた長女も、胎児性水俣病でしたが、医者には「脳性小児麻痺」と言われ続け、亡くなった後の解剖ではじめて胎児性水俣病と診断されました。本当に、聞くのも辛い話でした。

語り部の活動は、語れるようになるまでは本当に辛い辛い思いをされるのですが、語るうちに「カタルシス」として救いの面もあるのだそうです。それを聞いて、少し気持ちが楽になりました。

以前の水俣病資料館は、子供が来ても、悲惨な写真や内容に、「二度と行きたくない」と言ったそうです。それでは教育にならないので、原因や責任や被害もきちんとわかりやすく展示しながら、再生や希望や未来のことも考えられる内容に、変えていったそうです。

裁判の歴史や、チッソが原因隠しや責任逃れをしようとしたこと、政府による引き伸ばし、チッソの製品で高度経済成長の豊かな生活が支えられていたこと、などもきちんと展示されていました。石牟礼道子さんや原田正純医師の業績、裁判でチッソの責任を証言してくださった細川一医師(チッソ附属病院長)にことも丁寧に展示されていて、とても感動しました。

 

ミナマタの歴史を知れば知るほど、その構造、原因究明、被害救済、の問題は、現在進行中の、フクシマ、にそっくりです。同じ悲劇を繰り返さない、同じツケを子供たちに遺さない、ために自分が何をすべきなのか、何ができるのか、まだ良く判りません。

ただ、ミナマタの頃の高度経済成長の日本と今の世の中と何が違うかと考えたとき、確かに、違うとすれば、中小企業の在り方、だなと思います。


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